ツイッターでニュースを知り、待合室で隣に座っている人に「ホイットニー・ヒューストンが死んだんだって」と声をかけたら、まわりの人も一斉に、えええーーーっ!と声を挙げた。
80年代なかばに文字通り「彗星のように」出現し、80年代後半から90年代にかけてのアメリカのポップシーンは彼女なしに語れないと言っても過言ではないくらいの偉大な歌手だった。
わたしがNYに住みだしたのが1984年、そして、ホイットニーが出現したのがちょうどその直後。ニューアークという、マンハッタンから川を隔てた、当時は治安の極端に悪かった低所得者層の固まる町に生まれた無名の黒人女性が、登場直後から瞬く間に大スターへの道を駆け上がって行った様子を、今でもわたしはよく覚えている。
本人を個人的に存じあげているわけではもちろんないけれど、あの声をまた聞けなくなるのかと思うと、なんだか、長年の友人を失ったような、そんな寂しい気持ち・・・。
本人を個人的に存じあげているわけではもちろんないけれど、あの声をまた聞けなくなるのかと思うと、なんだか、長年の友人を失ったような、そんな寂しい気持ち・・・。
見た目重視で歌の方は口パクがまかり通るいまどきの中途半端な歌手とは違って、ホイットニーの歌唱力はホンモノだった。このライブ↓↓の迫力ときたら・・・
スーパーボウルで三拍子を二拍子に変えて彼女が歌った合衆国国歌は、アメリカでもいまだに「伝説の国歌」になっている。
でも、ボビー・ブラウンと結婚してからの彼女は、アルコール漬け・ドラッグ漬けという人生に転落し、タブロイド新聞やゴシップ番組の格好の餌食となっていった。
トラブルの間はゴシップ紙以外ではほとんど姿が見えなかったが、離婚して2年後の2009年に、何度目かのリハビリを終え、オプラ・ウィンフリー・ショーに出演して、 自分はもう麻薬には手をださない、わたしはクリーンだ 、と言い切った。この長い長いインタビュー↓↓で、ホイットニーは自分が酒と麻薬の中毒で身も心もボロボロになっていったこと、結婚生活が破綻して毎日が辛くて苦しい気持ちでいたことを赤裸々に生の声で語り、同時にカムバックとなるアルバムも発表してワールドツアーに出たりして、かなり話題になったんだよね。
(彼女がこのインタビュー直後、2009年9月に完全復帰すると宣言してNYセントラルパークで行ったGood Morning Americaのライブ映像がここにあります。これを聞くと、やはり長いこと荒れた生活を続けていたために声まで荒れてて、ちょっと悲しくなります。)
でも、その後も彼女はドラッグと酒を完全に断ち切ることはできず、つい先週も、こちらのタブロイド紙で、いかに酷い状態にいるかが伝えられていた。
死の前日も彼女からは酒の臭いが漂っていて言動がおかしかったと言われているし、最後はホテルのバスタブの中でひとり死んでいるのが見つかったと報じられている。
あの美しかったホイットニーが・・・。
下の動画は、彼女が全米TVに初出演したときの貴重な映像。
NYのナイトクラブで歌っていた彼女を発掘した辣腕プロデューサーのClive Davisが、「彼女にはガッツとソウルがある。天賦の才能というのは持ってるひとと持ってないひとがいるが、彼女はそれを持っているんだ。」と言ってべた褒めし、無名だったホイットニーを全米テレビで紹介した。
歌い終わったホイットニーに鳴り止まぬ拍手の中、トークショー・ホストのMarv Griffinが、こう言う。
“We won't forget that name, Whitney Houston!”
忘れませんとも。
安らかに眠ってください。
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