2011年、わたしは、ピアノを売りました。
NYに移り住んで最初の頃から24年間も、ずっとわたしと一緒にいてくれたピアノでした。
そのときのことを、当時、ブログに書いてます。
二日前、とつぜん、悲しい知らせが届きました。
わたしのピアノを買ってくれたピアニストのオクタビオさんの訃報でした。
突然入院されたことは知人経由で聞いてましたが、こんなに突然なくなられるとは。
ピアノを買ってもらった後も、何度かコンサートでお見かけし、演奏後のパーティでは、あのピアノをとても気に入っている、と言ってくださったのを思い出します。
あの、若くて才能あるピアニストが、突然いなくなるなんて・・・言葉もありません。
オクタビオさん、どうぞ、安らかにお眠り下さい。
友人から紹介された、在りし日のオクタビオさんの演奏です。
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8.31.2014
1.27.2014
【ミュージック】 Get Lucky
昨夜はグラミー賞の授賞式がライブで放映され、見てました。
2014年グラミー賞のベストアルバム、ベストレコードはDaft Punkが取ったのだけど、3時間以上にわたるショーの間も、ダントツで楽しかったのが、Daft Punk のGet Luckyだった。スティービー・ワンダーらも加わったステージに会場総立ち、スター達も踊りまくってディスコなムード。
(グラミー賞でのGet Luckyのパフォーマンス、残念ながら、著作権の関係で動画削除され、アップできないので、替わりに、音源だけ、どうぞ。)
この曲、もちろんアメリカでは超巨大ヒットで、ヒットチャートでは長いこと上位に張り付き。わんこと散歩中に聴いてるSpotifyで毎日かかってました。運転中でもカーラジオでしょっちゅうかかるしね。
わたしが最初にこの曲を聞いたのも運転中だったんだけど、ラジオだから顔見えないし、Daft Punkという名前もそれまで知らなかったからさ・・・
まあ、いまどきの若いひとは、Earth, Wind & Fireなんていっても知らないだろうけど、70年代のディスコブーム(←死語)をリアルに生きてた当時の若者には、彼らは「神」のビートだったんであるよ。
ところでぜんぜん関係ないけど、上のDaft Punkのビデオの3:38ぐらいにチラッとでてくるヨーコ・オノとその横にいる息子のショーン。
2014年グラミー賞のベストアルバム、ベストレコードはDaft Punkが取ったのだけど、3時間以上にわたるショーの間も、ダントツで楽しかったのが、Daft Punk のGet Luckyだった。スティービー・ワンダーらも加わったステージに会場総立ち、スター達も踊りまくってディスコなムード。
(グラミー賞でのGet Luckyのパフォーマンス、残念ながら、著作権の関係で動画削除され、アップできないので、替わりに、音源だけ、どうぞ。)
この曲、もちろんアメリカでは超巨大ヒットで、ヒットチャートでは長いこと上位に張り付き。わんこと散歩中に聴いてるSpotifyで毎日かかってました。運転中でもカーラジオでしょっちゅうかかるしね。
わたしが最初にこの曲を聞いたのも運転中だったんだけど、ラジオだから顔見えないし、Daft Punkという名前もそれまで知らなかったからさ・・・
初めてカーラジオでGet Lucky聴いたとき、Earth Wind &Fireかと思った程度にはマチュアですw
— TrinityNYC (@TrinityNYC) January 27, 2014
まあ、いまどきの若いひとは、Earth, Wind & Fireなんていっても知らないだろうけど、70年代のディスコブーム(←死語)をリアルに生きてた当時の若者には、彼らは「神」のビートだったんであるよ。
ところでぜんぜん関係ないけど、上のDaft Punkのビデオの3:38ぐらいにチラッとでてくるヨーコ・オノとその横にいる息子のショーン。
ショーン・レノン、親父が生き返ってきたんかと思ったw
— TrinityNYC (@TrinityNYC) January 27, 2014
10.06.2013
7.31.2012
ピアノへのレクイエム(鎮魂歌)
今朝のニューヨーク・タイムズに、こんな動画が掲載されてた。
フィラデルフィア近郊でピアノ運搬を営むひとのインタビューで、ピアノを捨ててしまう人が少なくないそう。ちょっと哀しい映像です。(関連記事はこちら)
昨今、中古のピアノ(特にアップライト)は価値が大きく下がり、誰かに譲ったり調律したりするより、捨ててしまおうと考えるひとが増えているそう。ピアノは大切に使えば、80年は持つのだそうです。
わたしは24年間持っていた小さなピアノを売りに出し、次のオーナーに引き取られてゆくときに、なんだか大切な友達と別れるような気がして、ちょっと泣けちゃったことあります。(その時のことを以前のブログにも書いてます。)
わたしのピアノを買ってくれたひとが、プロのピアニストのひとでよかったなぁ。その後お会いしたときも、すごく良いピアノで毎日楽しんで弾いているよ、と言ってくれたし。
次のひとが、こうしてピアノをポイと捨ててしまう人だったら、いまごろ泣くに泣けないですもん…
フィラデルフィア近郊でピアノ運搬を営むひとのインタビューで、ピアノを捨ててしまう人が少なくないそう。ちょっと哀しい映像です。(関連記事はこちら)
昨今、中古のピアノ(特にアップライト)は価値が大きく下がり、誰かに譲ったり調律したりするより、捨ててしまおうと考えるひとが増えているそう。ピアノは大切に使えば、80年は持つのだそうです。
わたしは24年間持っていた小さなピアノを売りに出し、次のオーナーに引き取られてゆくときに、なんだか大切な友達と別れるような気がして、ちょっと泣けちゃったことあります。(その時のことを以前のブログにも書いてます。)
わたしのピアノを買ってくれたひとが、プロのピアニストのひとでよかったなぁ。その後お会いしたときも、すごく良いピアノで毎日楽しんで弾いているよ、と言ってくれたし。
次のひとが、こうしてピアノをポイと捨ててしまう人だったら、いまごろ泣くに泣けないですもん…
2.25.2012
ビートルズの活動表1963年~1966年
1963年は、一年中ビッチリ、ツアーと公演活動。文字通り休む隙なし。(hat tip Barry)
「Eight Days A Week」(1964) と言いたくなるのもわかります。
一日終わると毎晩ヘトヘト。
こんなスケジュール見せられると、「A Hard Days Night」(1964) の歌詞に一層リアリティが湧くわね。
It's been a hard days night
And I've been working like a dog
It's been a hard days night
I should be sleeping like a log
2.20.2012
Lean on Me
ホイットニー・ヒューストンの告別式の様子が、ニューヨーク時間土曜日正午からアメリカのTVでライブ放映された。私も長いこと彼女のファンだったので、見ました。
ホイットニーの遺体は生まれ故郷であるNJ州ニューアーク市に戻り、地元のバプティスト教会で、最初から最後までゴスペル音楽に包まれて、スティーヴィー・ワンダーやアリシア・キーズら大スターのライブ演奏もあったりして、幼少の時から教会の聖歌隊でゴスペルを歌っていたホイットニーを弔うのにふさわしいお葬式だった。
映画『ボディガード』で共演したケヴィン・コスナーも参列者のひとりとして弔辞を述べましたが、とても印象に残るスピーチだったな。下の動画はその一部(1:45)ですが、あれだけの名声を得た彼女ですら、「私は大したことない」と感じていたというエピソードを、ときどき喉を詰まらせながら語るコスナー。
この、I am not good enough. という表現、よく使われる英語表現。
私の大好きな歌手 Sarah McLachlan の『Angel』という曲の出だしにも出てきます。
Spend all your time waiting
For that second chance,
For a break that would make it okay.
There's always some reason
To feel not good enough,
And it's hard, at the end of the day.
自分に自信がなくなるとき、自分がちっぽけに感じる時、自分なんて大したことないと感じる時。
人間、だれしも、そう感じる瞬間がある--。
★ ★ ★ ★
ところで、話変わって。
前にも書きましたが、ホイットニー・ヒューストンが生まれ育ったニュージャージー州ニューアーク市という町は、このところジェントリフィケーション(gentrification)が進みましたが、ホイットニーが過ごしたであろう70年代、80年代は貧しさと治安の悪さで有名なエリアでした。
私が1984年にミシガン州からNYに移ってきたとき、ニューアーク空港に到着したのですが、空港からバスに乗ってマンハッタンに向かう途中、バスの窓から見えた近辺の住宅街の様子が、それまで住んでいた中西部の豊かで小奇麗な町の光景とは似ても似つかぬ別のアメリカの姿をしていて、いよいよ悪名高いニューヨークに来てしまったんだ・・・と身震いしたのを今でもよく覚えています。(ミシガン州にいたころ、デトロイト市には行ったことあるけど、ゲットーに入り込んだ経験はなかった。)
モーガン・フリーマンが主演した『Lean on Me』という80年代の素晴らしい映画がありますが(邦題はなぜか『ワイルド・チェンジ』←題名チェンジしすぎだろw)、あの映画はニューアークの荒れた高校が舞台。近辺のエリアの高校で実際に起こった実話を元に、ドラマ化された映画です。
ホイットニーの告別式で溢れていたゴスペル音楽を聞きながら、この映画の、このシーンを思い出していましたよ。(この映画、また見たくなったな・・・。)
この歌詞を聞きながら思った。ホイットニーも、依存症で苦しんでいたとき、自分ひとりですべてを解決しようとせずに、誰かに助けてくださいと言えたらよかったのにね・・・。
(ちなみに、このシーンの他に、映画のエンディング・ロールでも『Lean On Me』の曲がかかりますが、エンディングロールで歌っているのはMarvin Winans、ホイットニーの告別式で最後にプリーチした、あの牧師さんです。)
告別式を見終わって思ったのは、ホイットニーのように、あんな稀有な才能に恵まれて世界中から愛された歌手でも、自分に自信がなくなったりするし、ひとりでは生きられないんだよなぁ・・・ってこと。
ホイットニーの遺体は生まれ故郷であるNJ州ニューアーク市に戻り、地元のバプティスト教会で、最初から最後までゴスペル音楽に包まれて、スティーヴィー・ワンダーやアリシア・キーズら大スターのライブ演奏もあったりして、幼少の時から教会の聖歌隊でゴスペルを歌っていたホイットニーを弔うのにふさわしいお葬式だった。
映画『ボディガード』で共演したケヴィン・コスナーも参列者のひとりとして弔辞を述べましたが、とても印象に残るスピーチだったな。下の動画はその一部(1:45)ですが、あれだけの名声を得た彼女ですら、「私は大したことない」と感じていたというエピソードを、ときどき喉を詰まらせながら語るコスナー。
(かなり大雑把な意訳ですが⇒)「名声を得ると、うまく説明できないけれど、それが重荷になったり不安を呼んだりする。僕自身もそう感じてたことがあったし、今日ここに来ている有名人もみな同じ気持になったことがあるはずだ。世界中で成功し有名になったホイットニーも、自分はこんなんでいいのか(Am I good enough?)、自分は十分に綺麗だろうか(Am I pretty enough?)、みな私のことを好きになってくれるだろうか(Will they like me?)、という不安と戦っていた。・・・もしあなたが「どうせ自分なんて・・・」と不安に感じることがあったら、ホイットニーに聞いてみるといいでしょう。彼女はきっと、大丈夫、自分を信じて自分に与えられた奇跡を称えなさい、と答えてくれるでしょう。・・・いま、彼女は天使たちに守られて天国に向かいました。ホイットニー、僕からこう言わせてください、君が神様の前で歌う時がきたら、心配しなくても大丈夫、君は十分に素晴らしいよ。(When you sing before Him, don't you worry, you'd be good enough.)」
この、I am not good enough. という表現、よく使われる英語表現。
私の大好きな歌手 Sarah McLachlan の『Angel』という曲の出だしにも出てきます。
Spend all your time waiting
For that second chance,
For a break that would make it okay.
There's always some reason
To feel not good enough,
And it's hard, at the end of the day.
自分に自信がなくなるとき、自分がちっぽけに感じる時、自分なんて大したことないと感じる時。
人間、だれしも、そう感じる瞬間がある--。
★ ★ ★ ★
ところで、話変わって。
前にも書きましたが、ホイットニー・ヒューストンが生まれ育ったニュージャージー州ニューアーク市という町は、このところジェントリフィケーション(gentrification)が進みましたが、ホイットニーが過ごしたであろう70年代、80年代は貧しさと治安の悪さで有名なエリアでした。
私が1984年にミシガン州からNYに移ってきたとき、ニューアーク空港に到着したのですが、空港からバスに乗ってマンハッタンに向かう途中、バスの窓から見えた近辺の住宅街の様子が、それまで住んでいた中西部の豊かで小奇麗な町の光景とは似ても似つかぬ別のアメリカの姿をしていて、いよいよ悪名高いニューヨークに来てしまったんだ・・・と身震いしたのを今でもよく覚えています。(ミシガン州にいたころ、デトロイト市には行ったことあるけど、ゲットーに入り込んだ経験はなかった。)
モーガン・フリーマンが主演した『Lean on Me』という80年代の素晴らしい映画がありますが(邦題はなぜか『ワイルド・チェンジ』←題名チェンジしすぎだろw)、あの映画はニューアークの荒れた高校が舞台。近辺のエリアの高校で実際に起こった実話を元に、ドラマ化された映画です。
ホイットニーの告別式で溢れていたゴスペル音楽を聞きながら、この映画の、このシーンを思い出していましたよ。(この映画、また見たくなったな・・・。)
♬誰でも生きているうちは苦しいことや悲しいことが起こるものさ。でも必ず明日はやってくる。自分で解決できない問題が起きたら、私を頼りにするといいよ。
この歌詞を聞きながら思った。ホイットニーも、依存症で苦しんでいたとき、自分ひとりですべてを解決しようとせずに、誰かに助けてくださいと言えたらよかったのにね・・・。
(ちなみに、このシーンの他に、映画のエンディング・ロールでも『Lean On Me』の曲がかかりますが、エンディングロールで歌っているのはMarvin Winans、ホイットニーの告別式で最後にプリーチした、あの牧師さんです。)
告別式を見終わって思ったのは、ホイットニーのように、あんな稀有な才能に恵まれて世界中から愛された歌手でも、自分に自信がなくなったりするし、ひとりでは生きられないんだよなぁ・・・ってこと。
2.13.2012
Whitney、安らかに眠ってください
前回のポストで書いた動物病院でフランキーの診察を待っている間、飛び込んできたのが、ホイットニー・ヒューストン死亡のニュース。
見た目重視で歌の方は口パクがまかり通るいまどきの中途半端な歌手とは違って、ホイットニーの歌唱力はホンモノだった。このライブ↓↓の迫力ときたら・・・
スーパーボウルで三拍子を二拍子に変えて彼女が歌った合衆国国歌は、アメリカでもいまだに「伝説の国歌」になっている。
でも、ボビー・ブラウンと結婚してからの彼女は、アルコール漬け・ドラッグ漬けという人生に転落し、タブロイド新聞やゴシップ番組の格好の餌食となっていった。
トラブルの間はゴシップ紙以外ではほとんど姿が見えなかったが、離婚して2年後の2009年に、何度目かのリハビリを終え、オプラ・ウィンフリー・ショーに出演して、 自分はもう麻薬には手をださない、わたしはクリーンだ 、と言い切った。この長い長いインタビュー↓↓で、ホイットニーは自分が酒と麻薬の中毒で身も心もボロボロになっていったこと、結婚生活が破綻して毎日が辛くて苦しい気持ちでいたことを赤裸々に生の声で語り、同時にカムバックとなるアルバムも発表してワールドツアーに出たりして、かなり話題になったんだよね。
(彼女がこのインタビュー直後、2009年9月に完全復帰すると宣言してNYセントラルパークで行ったGood Morning Americaのライブ映像がここにあります。これを聞くと、やはり長いこと荒れた生活を続けていたために声まで荒れてて、ちょっと悲しくなります。)
でも、その後も彼女はドラッグと酒を完全に断ち切ることはできず、つい先週も、こちらのタブロイド紙で、いかに酷い状態にいるかが伝えられていた。
死の前日も彼女からは酒の臭いが漂っていて言動がおかしかったと言われているし、最後はホテルのバスタブの中でひとり死んでいるのが見つかったと報じられている。
あの美しかったホイットニーが・・・。
下の動画は、彼女が全米TVに初出演したときの貴重な映像。
NYのナイトクラブで歌っていた彼女を発掘した辣腕プロデューサーのClive Davisが、「彼女にはガッツとソウルがある。天賦の才能というのは持ってるひとと持ってないひとがいるが、彼女はそれを持っているんだ。」と言ってべた褒めし、無名だったホイットニーを全米テレビで紹介した。
歌い終わったホイットニーに鳴り止まぬ拍手の中、トークショー・ホストのMarv Griffinが、こう言う。
“We won't forget that name, Whitney Houston!”
忘れませんとも。
安らかに眠ってください。
ツイッターでニュースを知り、待合室で隣に座っている人に「ホイットニー・ヒューストンが死んだんだって」と声をかけたら、まわりの人も一斉に、えええーーーっ!と声を挙げた。
80年代なかばに文字通り「彗星のように」出現し、80年代後半から90年代にかけてのアメリカのポップシーンは彼女なしに語れないと言っても過言ではないくらいの偉大な歌手だった。
わたしがNYに住みだしたのが1984年、そして、ホイットニーが出現したのがちょうどその直後。ニューアークという、マンハッタンから川を隔てた、当時は治安の極端に悪かった低所得者層の固まる町に生まれた無名の黒人女性が、登場直後から瞬く間に大スターへの道を駆け上がって行った様子を、今でもわたしはよく覚えている。
本人を個人的に存じあげているわけではもちろんないけれど、あの声をまた聞けなくなるのかと思うと、なんだか、長年の友人を失ったような、そんな寂しい気持ち・・・。
本人を個人的に存じあげているわけではもちろんないけれど、あの声をまた聞けなくなるのかと思うと、なんだか、長年の友人を失ったような、そんな寂しい気持ち・・・。
見た目重視で歌の方は口パクがまかり通るいまどきの中途半端な歌手とは違って、ホイットニーの歌唱力はホンモノだった。このライブ↓↓の迫力ときたら・・・
スーパーボウルで三拍子を二拍子に変えて彼女が歌った合衆国国歌は、アメリカでもいまだに「伝説の国歌」になっている。
でも、ボビー・ブラウンと結婚してからの彼女は、アルコール漬け・ドラッグ漬けという人生に転落し、タブロイド新聞やゴシップ番組の格好の餌食となっていった。
トラブルの間はゴシップ紙以外ではほとんど姿が見えなかったが、離婚して2年後の2009年に、何度目かのリハビリを終え、オプラ・ウィンフリー・ショーに出演して、 自分はもう麻薬には手をださない、わたしはクリーンだ 、と言い切った。この長い長いインタビュー↓↓で、ホイットニーは自分が酒と麻薬の中毒で身も心もボロボロになっていったこと、結婚生活が破綻して毎日が辛くて苦しい気持ちでいたことを赤裸々に生の声で語り、同時にカムバックとなるアルバムも発表してワールドツアーに出たりして、かなり話題になったんだよね。
(彼女がこのインタビュー直後、2009年9月に完全復帰すると宣言してNYセントラルパークで行ったGood Morning Americaのライブ映像がここにあります。これを聞くと、やはり長いこと荒れた生活を続けていたために声まで荒れてて、ちょっと悲しくなります。)
でも、その後も彼女はドラッグと酒を完全に断ち切ることはできず、つい先週も、こちらのタブロイド紙で、いかに酷い状態にいるかが伝えられていた。
死の前日も彼女からは酒の臭いが漂っていて言動がおかしかったと言われているし、最後はホテルのバスタブの中でひとり死んでいるのが見つかったと報じられている。
あの美しかったホイットニーが・・・。
下の動画は、彼女が全米TVに初出演したときの貴重な映像。
NYのナイトクラブで歌っていた彼女を発掘した辣腕プロデューサーのClive Davisが、「彼女にはガッツとソウルがある。天賦の才能というのは持ってるひとと持ってないひとがいるが、彼女はそれを持っているんだ。」と言ってべた褒めし、無名だったホイットニーを全米テレビで紹介した。
歌い終わったホイットニーに鳴り止まぬ拍手の中、トークショー・ホストのMarv Griffinが、こう言う。
“We won't forget that name, Whitney Houston!”
忘れませんとも。
安らかに眠ってください。
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