わんこって、人間のこと、どう思ってるんだろう・・・
今日のNYタイムズで最もEメールされた記事は、こちら。『Dogs Are People, Too』
寄稿者はエモリー大学で、犬の脳機能について研究しているグレゴリー・バーンズ(Gregory Berns)教授。
この脳科学者の先生が犬をMRIスキャナーにかけて、犬の脳の動きを調べたところ、人間の脳と似たような反応を起こすことがわかった、というんである。動物に感情があるかどうかは現段階では完全に証明はできないが、犬の脳の、ある部位の反応を科学実験で観察した結果、「好き」とか「嬉しい」とかいった、我々人間が抱くポジティブな感情に似た気持ちをワンコも抱いている可能性がある、というのだ。そして、この科学者の先生は、ワンコも人間と同じ「感情を持った生き物」ならば、動物を「モノ」として扱うのはどうよ、犬にも人間のように権利を持たせるべきだろう、と問いかける記事である。
実際にワンコと一緒に暮らしてみると、ワンコにはわたしらと同じ感情がある、と日々強く感じますよね。嬉しいとき、悲しいとき、残念なとき、不貞腐れているとき・・・わたしら飼い主は、自分のワンコがそう「感じて」いるのが手にとるようにわかりますよね。
だがいまや、わたしらの「霊感」だけではなくなったのです。
ここに、ひとつ、サイエンティストからの「科学的証明」が加わったのです!
喜ばしいことではありませんか。ともに叫ぼう。
「わんこは愛!!! 」
以下に拙訳。訳中の間違いは、すべて訳者のわたしの責任です。(医学用語がよくわかんなかったんで、間違ってたら指摘してくださいね~。)
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『犬も人間である 』
私は過去2年に渡り、完全に覚醒かつ拘束されない状態にいる犬がMRIスキャナーの中に入るように研究仲間らとともに訓練してきた。犬の脳がどう機能するのか、さらには我々人間のことを犬達がどう考えているのかを突き止めるのが、我々のゴールだ。
10頭以上の犬を訓練しスキャンしてみた結果、わたしは、これはもう疑いようがないというひとつの結論に達した。それは、犬達も人間と同じということだ。
犬は言葉を話すことができないから、犬がどんなことを考えているのかを察するために、我々科学者は彼らの行動様式の観察に依存してきた。これは簡単なことではない。犬に、どうしてそんな行動をとるのかを尋ねることもできない。ましてや犬がいまどんな気持ちでいるのかなど、もちろん聞き出せない。 動物の感情を探索するなど考えるだけでも恐ろしいと科学者達は感じてきた。つまるところ、動物に関わる研究というのは、手に負えないほど大変なので、動物が持っている感覚や感情などという答えの出せない困難な問題は初めから回避するが勝ち、だったのである。
しかし、これからは違う。
MRIスキャンを使えば犬の脳を直接観察することができるし、観察に依存してた従来の方法の限界を回避できるので、犬の内側で何が起きているのかを知ることができる。MRIは、大きな音がして狭い中に閉じ込められた状態になる。人間でもMRIに入ることは嫌がるし、検査中は体を動かさずにひたすらジッとしていなければならない。通常の動物医学的手順に従えば、検査中に動物が動かないよう麻酔を打つべしとなるところだろう。しかし、麻酔が効いている状態では脳の機能を調べることはできない。少なくとも、知覚や感情といった興味深い反応を麻酔中では何一つ見ることができない。
我々は、この研究では最初から犬達を人間として扱った。小児科で用いられる医療同意書に似せて作った同意書も用意し、ただし、実験対象となる犬の飼い主にその同意書に署名してもらった。この実験の参加は任意であり、犬はいつでも研究から外れる権利があることも強調した。犬の訓練にはポジティブトレーニング法のみを用い、鎮静剤は非使用、一切の抑制・拘束も無しとした。もし犬達がMRIスキャナーの中に入りたがらなかったら、その場を去ってよしということにもした。ちょうど人間のボランティアが実験対象となるときのように。
実験対象の犬第一号は、私の飼い犬のキャリーだった。キャリーはシェルターから私が引き取ったメス犬で、キャリーの出身地であるアパラチア地方の南部で「Feist」と呼ばれる小さく痩せ型のテリアとの雑種犬だ。狩猟犬の血を引くキャリーはその血筋のとおり、私の膝の上で体を丸めているよりも、裏庭でリスやウサギを追い回すほうを好んだ。キャリーは生まれつき好奇心が旺盛で、おそらくそういう探求癖が元でシェルターに収容される羽目になってしまったのだろうが、キャリーのその性格のおかげで彼女を訓練するのは容易な仕事だった。
私は居間の一角にMRIを模倣してシミュレーターを作り、犬の訓練士で友人でもあるマーク・スピヴァックの助けを借りて、その中にキャリーが入る訓練を始めた。キャリーは階段を上がってチューブの中に入り、彼女のアゴにぴったりフィットするアゴ乗せ部分に頭部を置いて、最高30秒間微動せずにジッとしていることを覚えた。それから、スキャナーが発する95デシベルのノイズから敏感な耳を守るため、耳栓を装着することも覚えた。
数ヶ月間の訓練と実際のMRIスキャナーを使った幾度かの試行錯誤の後、我々は犬の脳の動きをマップ化するのに初めて成功した。最初のテストでは、我々はスキャナーに入ったキャリーに二種類の手の動き(ハンドサイン)でシグナルを見せ、脳がどう反応するかを測定した。その後の実験では、こちらはまだ結果を公表していないが、彼女がよく知っている犬と人間、また、会った事のない犬と人間のにおいを嗅がせ、キャリーの脳のどの部分がそうしたにおいをそれぞれ嗅ぎ分けるかを突き止めた。
やがて、犬がどんなことを考えてるのかを探ろうとする我々の研究を、地元の愛犬コミュニティが聞きつけた。そして一年もしないうちに、我々は12頭の犬による「MRI訓練済み」チームを作り上げたのである。
我々の研究はまだ犬の脳についての基本的な疑問への答えを見つけ始めたばかりだ。しかし、これまでの研究から、脳構造と脳機能の両面において、犬と人間の間には驚くほど似通ったある部分がある、という点は無視できない。その部分とは、「尾状核(caudate nucleus)」と呼ばれる部分だ。
ドーパミン受容体を多く含む尾状核は脳幹と大脳皮質の間にある。人間の場合、尾状核は食べ物、愛、お金といった、我々が嬉しいとか楽しいとか感じるものに対し予期反応を示す重要な器官だ。しかし、逆の方向からその関係を眺め、尾状核の動きを測定することで人間が何を感じ考えているかを推察することが果たして可能だろうか?脳の各部分は互いに尋常ならぬ複雑さを伴い繋がりあっているため、脳のある一部分だけを取り出して、それにある特定の知覚機能や感情を結びつけることは通常は可能ではない。
しかし尾状核はその中で例外と言ってもいいかもしれない。尾状核の特定箇所のいくつかは、人間が楽しいと感じる多くの事象に常に反応し活性化することで知られている。正しく設定された状況下では尾状核の活性化が恒常的に認められるため、食べ物や音楽、さらには、美しいと感じる対象まで、その人間の好みを言い当てることができるのだ。
犬の場合はどうだろうか。我々は、食べ物を意味するハンドサインを見せると、その犬の尾状核が増大することを発見した。また、犬の尾状核は、犬が日頃から慣れ親しんでいる人間のにおいに対しても同様に反応することがわかった。さらには、まだ予備テストの段階ながら、一時的に飼い主が見えない場所に隠れ再び戻ってきた際に、犬の尾状核は活性化した。これらの発見をもって、犬が我々人間を愛しているという証明になるだろうか?残念ながらこれだけではまだそう結論付けることはできない。しかしながら、ポジティブな感情に結びつく多くの事象に反応して人間の尾状核が活性化するように、犬の尾状核もそれと同様の反応を示すのである。神経科学者らはこれを機能的相同性(functional homology)と呼ぶが、犬の場合も、これは犬の感情の表れであるかもしれないのだ。
愛情や愛着といったポジティブな感情を経験する能力を持つということは、犬も人間の子どものそれに相当する感覚性を有していると言えないだろうか。そして、そうした能力が存在する以上、我々人間は犬の扱い方を再考すべきではなかろうか。
犬は長いこと、「物(プロパティ)」という扱いを受けてきた。1966年の動物愛護法や州法によって動物の取り扱いはより好ましい方向へと進んできた。とはいえ、「動物は物である」という見方は断固として変わらない。「物」であるがゆえに、苦痛を最小にとどめる妥当な策が取られる限りは彼らを廃棄することができる。
しかし、MRIを用いた実験が可能になり、行動観察に依存してきた従来の研究の限界が押しやられ、MRIスキャナーに示された証拠を我々は隠蔽することはできないのだ。犬、そしておそらく他の多くの動物達(とりわけ我々人間に近い霊長類)は、我々人間と同様に感情を持っているようだ。「物」としての動物の取り扱いを我々は再考すべき時である。
一案として、ポジティブな感情を持つという神経生物学的な証拠を提示する動物に対し、一種の人間性を限定的に与えるという方法はどうだろう。すでに、多くのレスキューグループが、動物の世話をする人間を指して「保護者」という言葉を用い、ケアを与えるという暗黙の責任を人間に持たせて、被保護者となる動物と人間とを結びつけ始めている。人間が良き保護者としての責任を果たすのに失敗した場合は、その犬はどこか別の場所に移動させる必要が生じるだろうが、現在は動物を被保護者として位置づける法律は存在していない。保護者モデルのもとに運営されるレスキューグループが各所に存在していても、彼らには、動物を救済するための法的基盤をほとんど持ち合わせていない。
さらに踏み込んで、犬に人間性を与え人間と同様の権利を付与すれば、搾取から犬を守ることがさらに容易になる。パピーミル、実験ラボ用の犬、ドッグレースなどは「人間性が与えられた犬」が持つ自己決定の基本的な権利を侵害したとして禁止することができるだろう。
人間社会が犬を人間と同等に考えるようになるにはまだまだ長い時間がかかるとあなたは思われるだろう。しかし、最高裁による最近の裁決は、そうした可能性に扉を開く神経科学的発見が含まれていると知ったら、どうだろうか。最高裁は、最近のふたつの判例において、未成年の犯罪人に対し執行猶予のつかない終身刑を言い渡すことはできない、と判断した。その判断の背景のひとつに、思春期の人間の脳は完全に成熟していないことを示す脳の写像が引用されたのである。この判例は犬の感覚性とは何の関わりもないが、法廷という場において、神経科学への扉が開かれたケースであったことに違いはない。
いつの日か、犬の脳の写像からの発見に基づいて、犬の権利が法廷で議論される、そんな日がきっと来るに違いない。
(筆者のグレゴリー・バーンズ氏はエモリー大学の神経経済学科の教授。著書に『犬は人間をどう愛するか:神経科学者と里子として引き取られた犬が犬の脳を解き明かす』がある。)
ウチのわんこ、なにか悪い夢を見ていたようでうなされていました。犬なのにほんっと人間っぽいですよ。
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